稜線
帰省中の静岡で数年ぶりに会った男の車に乗り込むと、彼は早々にキスをしてきた。5年くらい前、まだ学生だった時に連絡を取り、セックスをした男だった。今回出会い系アプリで見つけたらしく連絡が来たけど、彼の年齢は当時と変わっていない。
街灯が100メートル置きくらいにしかない安倍川の土手沿いをダイハツのタントで進む。満月が綺麗な夜だから、車の中より外の方が明るい。
「転職して給料が下がった」という男は、この辺りは高いから海沿いのラブホがいいと言う。ステレオからはMISIAのEverythingとか、あゆのevolutionとか、CHEMISTRYのPieces of a Dreamとか、中学生くらいの時の曲が流れ続けている。会話に困っていたので懐かしいなーなんて話をしつつ、運転するその男をチラチラと伺った。シワとか少しだらしなくなった身体とか、5年分はやはり老けていて、多分相手も同じことを思っているんだろう。
「お金多く出すから近場がいい」と提案しようと思ったけど、やめた。
海沿いのラブホは狭く薄暗かった。組み敷かれながら「東京でもこんな風に遊んでんだろ」と聞かれ、喘いで聞き流す。静岡でこの男は、どんなセックスをしているんだろう。妻子もいるであろうこの男は、普段どんな顔をして生きてるんだろう。僕が東京で夜遅くまで働いている時、子どもと夕飯を食べお風呂に入れたりするんだろうか。僕が仕事終わりの深夜に近所のセフレを呼び出している時、この男はセックスをするために、遠くのラブホまで足を伸ばしているんだろうか。「背が低くて大人しい子を支配したい」という男の背中が天井の鏡の中で必死に揺れていて、その奥で顔を歪めている自分が見える。
事を済まし、一緒に寝たがる男に明日朝東京に戻るから早めに帰りたいと伝えた。母が起きる前に帰って、ラブホの安いシャンプーの匂いを消さないといけない。
土手沿いの道を戻る。東の空はやや白み始めていて、空気が澄んでいるのか雲ひとつなかった。広くてまっすぐに続く安倍川はゆらゆらと夜明け前のにび色を反射していて、河川敷の遠くでは山の稜線が群青色に浮かんでいる。車も人も見当たらない。寂しくて美しい地元の風景は、時間が止まってるみたいだった。
「あの山の奥に見えるの富士山だね。東京からも見えるの?」
男はセブンのコーヒーを飲みながら、こちらの様子を伺っていた。1秒でもはやく家に帰りたい。
「見えるけど、すごく小さくしか見えないし綺麗に晴れないと見られないですよ。遠いし」
「多摩川とか行ったら見えるの?」
「見えるのかな。都心よりは見えるのかもしれないけどわからないです」
「多摩川とか安倍川っぽいのかなって思って」
「全然違いますよー」
運転席の奥にある土手の向こう岸を見つめる。中学の時に彼女と2ケツした土手沿い、だいぶ前に死んだ愛犬を連れて散歩した河川敷、まだ仲の良かった家族とバーベキューをした安倍川橋のふもとが、窓の外を流れていく。
この街で、生きられなかった。
摩天楼もネオンもないけど、街と緑のバランスが良くて、とり残されたかのように保守的な、自分の半分を作った街。彼女のことも犬のことも、家族もみんな大切だった。けどもう今はどこにもいなかったり、戻れないとこにいたり、どうしようもないくらい離れてしまった。今でも大切なものはたくさんあるのに、その暖かくて窮屈なストーリーの中で隠れて生きていくことは、もう自分にはできないんだろう。
家のそばにつくと外はもう明るかった。
「次はいつ帰ってくるの?」
早く車から降りたくて、仕事次第なので連絡しますと伝えると男は強く抱き寄せてきた。
「また会おうね」
コーヒーが少し混じった同じシャンプーの匂いを感じた。「また」とだけ伝えて、車を降り、小さく手を振って見送る。遠くの山際は曖昧に霞んでいる。もう二度と会うことはないだろう。幸せに生きていてほしいと思った。
目尻の皺
遅くなったけど誕生日おめでとう。
タメだけど、あんたが遂に30なんだね。
よく飲みに行っては「2人とも童顔で若く見えるね!」なんていうおじさんの言葉を養分にして、何度だって夜明けまで飲んでたのに。
確かにあんたは出会った頃よりカラダはダルくなってるし、やっぱり目尻の皺はやばいと思う。
誕生日プレゼントみんなで議論した時にすぐアイクリームが候補にあがってきた。
だけどこうしていろんな人たちに囲まれて心配されて、愛おしく思われて、三十路に、あんたが私たちの中から特攻隊長として1番最初に繰り出してくれた。
去年はいろんなことがあったね。
個人的には一層仲良くなれたなって思ってる。いろんなとこにも行ったし2人でお転婆もしたし、いろんな話をしてくれて嬉しかった。
大変なこともたくさんあったよね。
大震災になぞらえられることもあるくらいだし、もしかしたら今も思い出して枕を濡らす夜もあるのかもしれない。
だけど、あんたがした選択を、それでもやっぱり後悔して欲しくない。
ずっと考えて、悩みに悩んで一度は出した答えなはずだから、確かに予想だにしない終わり方はしたのかもしれないけど、きっと正しかったと胸を張れるよう、笑えるようになってほしい。
とはいえ、こんなこと言ったって、そう思えるようになるには時間に任せるしかないんだよね。
毎週末アホみたいに街に繰り出しては見知らぬ男とワンナイトを重ねたり、時には恋愛もどきをしてワタワタしても、ただそれだけじゃどうしようもなくて、自分の中に穴が開いて空っぽになってしまったような孤独は、時間しか解決してくれない。
歳なんかとりたくないのに残酷だよね。
時間しか解決できないことがあるって自分たちアラサーはもういい歳だし、頭おかしい恋愛ばかりしてきたからわかってる。
なんの変化もない毎日を淡々とこなして、他にも信じられないような事件で痛手を負うこともあるのに、けど時間しか癒やしてくれない。
だから自分たちはそばにいよう。そばにいたい時そばにいて、ほっておいて欲しい時はほっとこう。
寂しさを紛らわしてるだけとかババアの馴れ合い気持ち悪いとかいわれるかもしれないけど、きっと少しでも毎日を楽に過ごすために私たちはいる。
これからあんたの後を追っかけて続々とみんな30になる。
飲み屋に出て、声をかけられることも少なくなるんだろうね。気づいたら年下ばかりになって「え!30ですか!?見えな〜い」なんてお世辞言わたら「あらあんた出世するわよ〜」みたいなことを品なく笑って場荒らすクソババアに、きっとあんたも自分もみんなもなっていって、
だけどそれもまた楽しみだよ。
シワの数だけ哀しみがあって、マリアナ海溝くらい深い溝になっても、時間が私たちを赦してくれるし、少しだけ薄くしてくれる。
歳をとって幸せになろう。
悲しみに負けないくらい、あんたと私たちはまたいろんなとこに行って、たくさん飲んで、年甲斐もない気が触れたようなことをして、笑い皺だけ増やしてこう。
私はイラついた時にできるデコジワなんとかする。
改めておめでとう。これからもよろしくね。
30に愛を込めて
湿った咳
心の中の少女が満たされるとき
引っ越しをしてしばらくたって、親友のCちゃん(ホモ)がとまりに来たとき
手紙
静岡市葵区のビデオレター
浅間神社
桜を見ても、昔ほどきれいと思わなくなった。
中学3年のとき、大学まで続く、女性との最後の大恋愛をした。
静岡市の浅間神社の100段階段を登ったところで、つっかえながら告白をして
4月5日から付き合い始める。
ぼんぼりにてらされて薄紅が流れていくのがとてもきれいで、
境内を覆うようにしだれる桜のなかにいたら
これからの彼女との間には幸せしかないんだと思った。
付き合っては別れてを何度も繰り返した。
喧嘩のバイオリズムが1年ちょうどなのか、春先なると気が立つのかわからないけど
なぜか3月終わりくらいにさよならを告げる。
途中で別れてしまった理由も思い出せないから
きっとたいした理由なんかなかったんだろうけど
そのたびに満開の桜が散っていた。
雨の夜の桜は青く、
ぼんぼりに照らされた彼女は凛とした悲しい顔、今でも忘れられない。
彼女と、本当に縁が途絶えたのは大学一年のとき、9月の蒸し暑い夜だった。
男のことが好きになってからも、何度かその時々の人と桜を見た。
「また来年一緒に見よな?」といった名古屋の人とは結局それっきり。
弄んでしまった男や、遠距離になり消息もわからない男、
みんな大好きだったけど、彼らとも2回目の桜を見ることはできなかった。
『もしも翌年も一緒に桜を見れたら
あのときのように幸せが続くのかもしれない』
夢見る少女なのか少年なのか、そんなこと考えるようになっていた。
ひとつひとつの思い出を大事にすればいいし、あの頃は戻ってこないのに
どうしてもまたあの幸せの場所を、手にしてみたいと思ってしまう。
4月5日、昨日、一回りすこし上の人と3回目のデートをした。
駅までの道で少しそれたところにある桜が目に入った。
彼は気づかずに晩ご飯の話しを続けている。
もう葉桜で、かなり芽吹いている。
なんだかすこしほっとしたら急に触りたくなって、
人がいないことを確認して、彼の手を握ってみた。
驚いた顔をした彼も、同じように人気がないことを確認したら
握り返してくれて「どしたん?」と笑って餃子食べたいねって話をした。